おやじさん(本田宗一郎氏)との日々



本田宗一郎氏には仕事を通じて色々教えられました、

それをご紹介します


honda

本田さんに戴いた私の宝物

全く此処に書いてあるような生き方の人でした


エピソードの数々を思い付くまま書いて見ます
はて、何が飛び出すやら、、



エピソード

この頁の記事
*初めてのおやじさん
*怒られた、怒られた
*こっちの方も少しづつ要領が、、

次の頁の記事
*小さな事ほど大きく怒られた
*本当に社員の事を考えていた社長だった
*絶対悪いものはだすな!
*一万回に一回でも百パーセント
*明日の朝まで作っておけ!
*スペアタイヤへのこだわり>

3頁めの記事
*落下傘で飛び降りろ!
*たまには褒められる事も
*最後に怒られたのは
*引退の言葉
*アメリカへ来た

4頁めの記事
*シャツは赤かった
*巨星はNOVAに


S600
  

初めてのおやじさん


● 昭和37年の夏、世の中には不況の波が押し寄せていた、私が勤めていた会社もその波が 遠慮無く押し寄せて来て皆浮き足立っていた。 丁度そこへ本田技術研究所で車の技術者を新聞で募集しているという話しが入って来た、 元々本田は卒業の時に行きたかった所だが、その時は募集していなかったのだから直ぐ 応募した、試験を心配したが論文と面接のみでほっと安心した、私は関係していた 「軽自動車の有るべき姿」というテーマを取り上げて書き、面接も無事通って本田技術 研究所に途中入社した時、まさにHONDAS360の最初の試作車が走る時であった。 車体設計室に配属されて気がつくと、広い設計室の中に隅々迄届く声で怒っている人がいて、 あれが噂の本田宗一郎社長か!とこっそり盗み見をしながら、早く私もあのように 怒られて見たいものだ、と内心羨ましく思ったのが初めの印象だった。 それから私はS600のリャーサスペンションの設計を任されて、数ヶ月が経った、 その間毎日のようにおやじさんのカミナリがあちこちに落ちていたが快い遠雷の響きの ように受け止めている毎日だった。 秋も深まったある日の事、「これ誰が設計したの〜」とNさん(後の本田技研の 副社長)が一つの歯車を持って我々の近くにきてその歯車を高くかざした、それは見覚え のある私が設計したものだった、私は飛び上がる様にして立ち上がり「ハイぼくです」 と答えますと、未だあまり面識のなかった私を見て怪訝そうに、 「君か〜、おやじが検査台で呼んでいるよ、誰かいないの?君1人で大丈夫かな?」 と心配そうに言うのを聞いたが、 私は「大丈夫です」と言うなりその歯車を受け取り初めて何かお話が出来ると半分小躍りし     ながら飛ぶようにして出かけていった。 検査品置き場にはおやじは1人で色々な部品を手にとり眺めていた。一寸取り付き 難かったが勇気を出してペコリとお辞儀をしてから「これは!私が設計したものです」 と答えた、おやじは振り返って私を見たが初対面であった為、しばらくジロジロと私の顔を見て     いてから「バカヤロー!お前か!何でこんな設計をするんだ、ここはこうだろ!こんな作り 難い設計ってあるか!こんな事やるんじゃねーすぐ直しなさい!」と一喝された、私は    「ハイ判りました」と答えたがその後何も言わないので一礼して帰って来た、初めて怒られた     経験だった。 しかし言い方はそんなにきつくなく、声の大きさも普通でどちらかというとまったくの期待    外れ?で、なーんだ大した事ないやと思った。後でその事を上司に話すと「それはね、    君のこと知らなかったからだよ」と言われた、知らない人はあまり怒らないとか、、! 所がドッコイ!これがそもそもの始まりだったとは、、、。

怒られた,怒られた


● はっきり言って、2回目が何で怒られたのか?よく覚えていない、それ位よく 怒られまくりました。 又、席も悪かった、丁度テスト室、実験室へ行く扉の直ぐ横でトイレの近く だった、その往復の度に私の顔を見る度に、あれどうなった?、出来たか見せろ? ばかやろーの連続でした。 あんまり度々怒られるのでいったいどの位怒られたり、問われたり、図面の説明 をしたか製図版(当時はケント紙)の隅に[正」の字を書いてみた、何とある月 の最大が22回にもなった。 又、おやじさんはトイレに行って手を洗うのは良いがハンカチーフを何故か 使わず、いつもズボンや上着で手を拭いている、これが問題で、未だ完全 に乾かない手で私の席に来て図面に色々書きまくるものだからケント紙が濡れて 仕舞って皺が寄ってぐちゃぐちゃになってしまい、折角書いた図面が全く使い 物にならなくなった事もしばしば有り、泣きました!。 対策は来たらサッと新しい紙を上に被せてその上に書いて貰う事でしたが、これも 奇襲が多い為なかなか巧く行きませんでした。

こっちの方も少しづつ要領が、


● 怒られる時は一人ということは少ない、大抵上司とか所付とがが一緒に呼ばれて 怒られる、最初のうちはおやじが怒っている時にすぐ近くにゆき「バカヤロー、 ポカリ!」と頭等を殴られていた、何故か何時でも私だった ある時、テストで走った車のリヤーサスペンションを分解している所で怒って いると呼びに来たので、飛んでゆくといきなり, 「又、お前か!!バカヤロー,こんな物作りやがって!!」 と、いきなり持っていたリング状の大きなオイルシールを口の所に押しつけられた、 慌てて避けたが頬に強く擦られる感じが残り、口の中は油臭いグリスの臭いで 一杯になった。 後で洗面所に洗いに行ってと見てみると、何と口の所横一文字に真っ黒なグリス の油の縞が出来ていた、そこえ先輩が来て、 「馬鹿だなー怒られるときは腕の届くの範囲に入っちゃーだめなんだよ」、 との事。 それから注意して見ていると良く怒られる人は皆この鉄則を守って一定の微妙な 距離を保っている事を発見いた。 それ以来私も怒られるベテランの域に達したのだった。

続<、、


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