広島・山口かけある記/1

10月の終りの週にもうそろそろ紅葉でないか?という事で安芸の宮島の名前に誘われて
広島、萩、津和野を訪れました、今回の旅もお定まりの3日のツアーでしたが一応の所は全て回ってきました。.
ツアー独特の駆け足の旅でしたが今回も天候に恵まれトラブルも無く快適な旅行が出来まし。


安芸の宮島厳島神社

  9月に山陰へ旅行した時になぜか近くまで行きながら萩・津和野に行けなかったので今度はそっち
に行こうと決めて旅の広告を探していた、この地方は人気があるらしく色々なコースが用意されていたが
私達は日にちとば場所を吟味して広島の入っているこのコースを選択したのだった。

 先ず私達は2時頃の遅い便で広島へと飛んだ、広島空港は流石主要都市空港だけあって立派な
空港だった前に出雲空港に降りただけにその差は歴然だった。

  着いて人数点検を終えて直ぐ大型バスに乗って宮島へと向かった、ご存知のように厳島神社は瀬戸
内海にある小島にあるので船で渡らなければならない為大型フェリーが続々と発着している、我々も
フェリーターミナルから船に乗って対岸の宮島へと向かった、まもなく神社の有名な大鳥居
が見えてきた、バックの緑に映えて美しい光景だ、生憎干潮のようですべて水から顔を出していた、
厳島神社の建物は推古天皇が建立したが現在の建物は1168年に平清盛が建直したといわれる。

  近づいて見ると鳥居の下で大勢が水辺にしゃがんで居る、聞いてみると潮干狩りだそうだ、取るのは
無料で自由だが一人バケツ一杯までと規定されているここで取った浅蜊はご利益がありそうだ!
お土産やのガイドに案内されて神社へと向かった、ここには名物の鹿が山から下りてきて餌をねだって
いるのでうっかりするとその甘納豆のような排泄物を踏んでしまうので注意が肝心だ。

  満潮で無いといささか美しさに欠けるがそれでもこの建物は素晴らしい、常に鳥居を意識しながら
建物が建っている様だ、本殿正面には国宝の高舞台がある、ここは昔、平清盛が厳島神社に伝えた
優雅な舞楽の演奏で知られ春の桃花祭、秋の菊花祭が有名である。

  又ここには需要文化財の能舞台があって一昨年の台風で一部流出してしまったが流れ出た材木を
瀬戸内海から拾い集め七億円をかけて再建したという、なんでも復元するには80%の元の材料が
使われて無いと認められないのだという、裏側にあるさし橋は昔勅使が出入りした橋だというが現在は
使われずに保存されているが錦帯橋のような優雅な造りだ、、、

  神社の中は一方通行となっており向こう側に抜けて裏を回って帰るのだが出た所に9本の松が目に
入るこれは確か伊藤博文が植ものだと記憶しているが定かでない、更にこの枯れた松の幹は後白河天皇
がお植えになった物だと云われる、案内した土産物屋の紅葉饅頭で小腹を見たしながら再び大鳥居の
近くへいって見た、もう秋の夕暮が迫っていて潮も満ちてきていた、この大鳥居は両側から2本の柱で
支える独特の構造で潮や風に耐えているという興味あるものだった。

  その日の夕食は広島風お好み焼きだった、バスに乗った一行は町の中にあるお好み焼き屋台の
集まるビル案内された、ここは可也観光地化されているようだが2階から3,4階が全てお好み焼き屋
でそこで自由に選んで食べれるのだ、何処が美味しいのかよく判からないまま美味しそうで混んでいる
店を選んで食べたが結構いけて美味しかった、他にも街中至る所に「元祖]「本家」のマークの店が
あったが本当は何処が一番なのか気になるところだった。

  宿泊地である「呉」のホテルでの一夜が明けバイキングで朝食をしたため乗り込んだバスの車窓から
瀬戸内の海は点在する牡蠣の養殖棚が朝もやの中に綺麗に並ぶ光景で迎えてくれた。

  今日の最初の訪問地はあの広島平和公園である、良くTVでは見ているが訪問するのは始めてだ、
バスを降りて最初に訪れたのは原爆供養塔だった、ここには数え切れない程の平和の折り鶴が供えら
れている、これらは皆修学旅行の生徒達が捧げた物だという、色々な書き物もあった、我々も犠牲者
達の魂に暫しの黙祷を捧げ心から平和を祈った。

  供養塔から少し行った所に平和の鐘があり希望者は撞くことが出来る、この音色は前にTVで聞いた
ことがあった、更に進むと前方に原爆ドームが見えてきた、このドームは爆心地に近いが本当の爆心地
は少し東に行った所にある、川向こうに立つこのドームは矢張り原爆の恐ろしさを見せて呉れる。

  これは「原爆の子の像」である原爆に被爆し回復を願って折鶴を折りつづけたが空しくなくなった女の子
の像である、ここにも沢山の折鶴が平和を祈って捧げられていた、更にドームから遠ざかる様に進むと
そこに原爆死没者慰霊碑があり振り返ると真正面に原爆ドームが見える、平和式典は何時もここで
行なわれるので見なれた感じがする場所だ。

  平和記念資料館はその更に後ろにあリ、ここには原爆に関するあらゆる資料が展示されている、今見る
のはとても絶えがたいものがある、この窓から慰霊碑を通して向こう真正面にドームを見ることが出来る。

  原爆一色でやや暗いムードになったが我々は次ぎの目的地である錦帯橋へと向かった、高速道路を
降りて河に沿って進むと大きな河原の駐車場についた、天然の駐車場だ、ここから日本3名橋である
錦帯橋は直ぐ横に聳えていた、この橋は1673年岩国藩主吉川広嘉が建造した物である、又この橋
は作リ方も釘を一本も使ってない構造であるという。

  有料のこの橋を渡ると向こうには公園と白蛇神社があり綺麗な噴水や何匹もの神の使いといわれる
白蛇を見ることが出来る、山の上には岩国城も望める。
  
ーーーーーその2に続くーーーーー

日本3名橋、錦帯橋

                  −−−−−−−完ーーーーーーーーー

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