麗しの島台湾その2

九扮(きゅうふん)、花蓮、タロコ渓谷

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★非情城市 九扮★

  基隆から東に40kmくらい行った所の山の谷合に、昔 金が採掘され、その後「非情城市」という
映画の舞台になった「九扮」と云う町に向かった、ここは山合の人がやっと通れる狭い道がくねくねと
つながる小さな集落で今は観光地となっている。
  ここからは一寸綺麗な眺めが楽しめる、昇って行く道の両側には土産物屋が並び、しばしば足を
止めて試食やら、変わったおみやげに見とれていた、ここの名物は里芋の餡入り団子でありその他は
パイナップルケーキなどが美味しかったやっぱりお土産やさんが一番面白い。

★花蓮★
  九扮を後にした私達は次なる目的地であるタロコ渓谷に行くためそこの足場となる花蓮という観光と 資源の町に向かって行き途中で取り敢えず早めの昼食を取る事になった、昼食は台湾式海鮮料理で、 ここでしか採れないという歯の鋭い魚や、えび、蟹などが出てきてとても美味しかった。   この東海岸を南下して行く道は昔、日本が統治していた頃に建設された道路で今でも有用な道路と なっている、この海岸はいわゆるリアス式海岸でそそり立つ断崖が連なり、かなりの開通まで時間が 掛かったと思われる、道は時には1車線の狭い街道で窓際にいると怖い感じだ、車止めのブロックが やや安心感を与えて呉れているので助かる。   この写真を見ても判りますが、矢印の有る所が作られた道で本当に良く作ったものだと感心させ られる、トンネルも多くひやりとする場面も有る。ここは明日の目的地であるタロコ渓谷の入口となる 渓谷が海に接したところに有る立派な看板で、明日への期待を高まらせて呉れた。   その夜はごうかな龍蝦海鮮料理で夕食後はアミ族の民族舞踊鑑賞で楽しんだががそれは次編 その3にて詳細に報告する事とします、その夜は明日への期待のうちに眠りについた。
★タロコ渓谷★
  翌日もまあまあの天気だった、今日は忙しいのか7時半の出発予定となっている、早い朝食の バイキングを終えバスへと乗り込んだ、タロコ渓谷までは40分位の道のりだ昨日来た道を少し引き 返して渓谷への道へと入って行った。   先ず最初に私達の目の前に現われたのが長春祠であった、この祠はこのタロコを通って台湾の西側 に出る道路のそれは大変な難工事の犠牲者212人を奉る為に建てられた祠だという、望遠で近寄って 見るとこんな祠です、そこから流れ出る滝は長春瀑布と名が付けられている、更に目を転じると山の中腹 にお寺が見え又その上の頂上にもお寺が建てられている、その全体はこんな関係です、この写真はバス の中から撮ったので自分の姿が写ってしまった、遠方に焦点を固定するのを忘れた失敗作ですが、、      更にバスは奥へと進むと渓谷は段々とその本性を現してきた、遥か対岸には銀帯滝と呼ばれる 一筋の滝が私達の視界に飛び込んで来た、そしてついに「燕子口」と呼ばれる渓谷の入口に着いた 私達はここで一旦バスを降りて遊歩道を歩く事になった。この燕子口と言う名は昔岩ツバメが多く削ら れた岩の穴に生息していたらしいが最近は殆ど居なくなったとか、、。   これは入口所から下を見たところです、又これはそこを逆方向から見たところで、徐々に大理石が 河原に顔を出し始めている、ここの渓谷の一番狭い所は僅か16mしかない程切り立っている。 遊歩道はこんなに高いところに人工的に作られている、車道はその更に奥に掘られている、この風景は 上流から見た遊歩道で人々は景観にすっかり見とれている。   この写真の後方の一枚岩は「錐麓大断崖」という高さ200m長さ1キロ以上に及ぶ大理石の断崖 です、とても写真には入りきれなかった、川は益々険しく、時に広くなってくる、良く見ると遠くにトンネルが 見えますがここが道路でその険しさが良く判ります、魚が居そうな川ですが石灰石の為に魚は生息 していないとの事。   この写真の中央右側に有る川辺の岩はインデアンの頭の形をしているので有名です、前方のC字型 の流れに囲われている所です、ちょうど草木がインデアンの羽根飾りのように見えます、その左上に トンネルから出てくるトラックが見えます、大きさを比較しても如何に壮大かわかります、この辺は九曲洞 と呼ばれています、又これはその顔の部分を大きく撮った物ですが遠景の方がそれらしくみえます。   渓谷は奥に進むに連れて白く美しくなって行く眩いばかりだ!道は断崖を削り取って奥へ奥へ とつながって行く、本当はここを歩くと最高の様ですが残念だが時間が無かった、道のあまり険しい所は どんどん新道が作られて居る、車は新しい道しか通らないので観光ルートから外れるが、元々この道は 台湾の東と西をつなぐ為の東西横貫公路として作られたのだから仕方が無い、212人に犠牲者が出たのも 充分頷ける長難関作業だったと今更ながら感じる。   渓谷の終りは天祥と呼ばれるところで「慈母橋」と呼ばれてその横の天主堂と伴に渓谷に一段の美を 添えている、岩が白い為鉄分を含んだ洩水の痕が生々しいが白い渓谷はまだまだ続いていた。   私達は橋の先の食堂で暫しの休憩を取った後、元来た道を戻って行った、くる途中にに見た景観を 再度堪能しながらもう次ぎに花蓮の空港から乗るプロペラ機への期待に胸を膨らませていた。     
・・・・・その3「アミ族民族舞踊、台湾の食、に続く・・・・・
 


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