HONDAに於ける仕事の一部を紹介します
○S360、S500,S600のシャーシ設計を担当 某自動車会社から中途入社した私はいきなりS360のシャーシの担当となり あの有名なチエン駆動のリヤーサス周りを担当させられました。 ○S800のRIGID AXLE の (LPL) ホンダスポーツも最後のシリーズとなってチエンケースをやめて5リンクのリジット アクスルに変更、この時はS800のLPL(Large Project Leader)をやっていました。 ○Z360の(LPL) N360をベースにしたZ360通称「水中めがね」のすべてを任されて当時元気一杯 だった本田社長に毎日怒られながら僅か10ヶ月でラインオフを成功させました、 今迄の軽自動車の枠を完全に打破した画期的な車でした。 その後、Zは水冷Z360となって最後の幕を引きました。 ○ATC70、ODESSY等のレジャー商品開発総括 その後、ホンダアイデアコンテストのきっかけから4輪から離れレジャーグループの 総括として数々のアイデアに富んだ作品を手がけました、又、ATCシリーズを作り上げ アメリカの市場に挑戦しました、これは苦しいけど全米を舞台にする楽しい仕事でした、 お陰で全米の隅々迄行きました。 ○ローラースルーGOGOの基本コンセプト考案(LPL)とレジャー商品の開発 上記期間中に国内でスケボウからヒントを得たローラースルーGOGO を考案し売り出しました、TV等でも宣伝し大ヒットをしました、しかし、残念なことにある 交通事故が発端で急激に市場は消滅しました、後に公的機関の安全性の検証でも「問題無し」 と出ましたが後の祭りでした。 最後に出したのがローラースルーGOGO-7と言う一回り大方の高性能 の機種を売り出しましたが、GOGOの衰退で殆ど日の目を見ませんでした。 ○アメリカ駐在4年リサーチで全米を回る レジャーの開発の後、アメリカ ロサンゼルスの本田技術研究所の米国支社に行きリサーチ 部門を担当しました4輪、2輪と全米の動向を調査把握し本国に資料として提供する活動を 行ない、まさに全米を訪問しました。 北はアラスカの果てから、南はフロリダのキーウエスト迄、南部の湿地帯、北部の山岳等など、、 ○帰国後HONDAの2輪、4輪の用品開発総括 ホンダアクセスの創立に合わせて帰国、ホンダ製品に対する用品の開発を総括し、約10年間 色々な商品を世に送り出しました。 ○1993年末定年退社 年も押しつまった12月60才となり退職しました、未だ働けそうなので興味も有った某ゲーム会社 に再就職しました。 ○93年1月某ゲーム会社に就職 最初製品の企画をやリましたが直ぐ通信カラオケの開発部長を担当ついでインターネット推進室長 を歴任。 ○99年6月某ゲーム会社を退職 65才となったので余生を楽しむ為円満依願退職をする。 ○某コミュニケーション会社にアドバイザーとして週2日勤務中 友人に頼まれて週2回シニアアドバイザーとしてweb関係の開発とアドバイザーの仕事を担当する。
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