レースの想い出


アイルトン・セナの思い出

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アイルトン・セナとはHONDA、RHEOS、HELMETで89年の日本GP前から3年の 付き合いでした。 1990年から2シーズン、HONDA、F−1チームとは別契約でホンダアクセス(株)にてセナ とヘルメット着用で提携しました、この時セナ、ベルガーといつしょにヘルメットの提供に伴う色々な仕事を しました。
ホンダアクセスは年間を通じて20個のヘルメットを提供し、それの開発のために技術者を全レース に同行させた。

セナとの初めての出会い

sena3 ヘルメットの開発等を総括して暫く経った89年の秋の事だった。
話は突然やって来た、前からHONDAがF−1をやっているのに契約ドライバーのセナとベルガーが 他社のヘルメットをかぶっているが、HONDAのヘルメットを使って貰えないか、とF−1の事務局の方に 申し込んでいたのだが、急に今日セナに会ってくれとの事だった。

時間が無かったので取るものもとりあえず、セナの宿泊先で在る全日空ホテルにヘルメットの開発者2名と 営業の部長を連れて会いに行った。約束は7時だったが少し前についた、早くちゃ悪いと我々は そわそわしながら時間が来るのを待っていた、途中で気が付いて慌てて使い捨てカメラを買いに行って手に入れた。

7時になったので恐る恐るドアーをノックした、やおらしてドアーが明けられた何とセナは は入浴中だったらしくズボンに上半身裸に湯上げタオルをかけて出て来た。 私はあまりにもフランクな素顔を見て急に親密感が湧いてきた、そしてほっと安心感が込み上げてきた。
彼はいったん寝室に入り、シャツを着て再び出て来たセナと我々は早速仕事の話を始めた。
我々は現在生産中の中でも最高のRHEOSヘルメットにあの有名なセナのブラジルカラーを塗ったものを用意して 来たので被って貰うことにした、そしたら何とLLサイズなのに頭に入らないではないか、頭の上にチョコンと乗って 下まで入らないではないか!!

驚いて調べてみるとセナの頭は前後に長い欧米人特有の形で、前後がきつく横は隙が空いているではないか、 我々は深く詫びて、計るものがなかったが大体の形を紙を使って計測させてもらった。
セナは今年はもう契約済みなので来年ならばもし良ければ使いましょうと約束してくれた。

次の再打ち合わせの話も決まり、会合は終った。私は思い切って頼んだ「済みませんがこれにサイン頂けませんか?」と 、セナは気楽にOKといって色紙にサインをしてくれた、嬉しかった、ついでに写真をと頼んで撮ることが 出来ました、上の写真がそうです。良く見るとセナもまだ初対面なので何かよそよそしい感じです。

普段着のセナの写真集(45枚)

セナとプロストの絡み

senarace 右の写真はプロストと同じ本田でチャンピオンを競って いた時あの有名な鈴鹿のシケインで車体同士が噛み合って仕舞い、動けなくなってセナが失格した時の もので、見ている我々は同じHONDAチームなので
呆然と事故を見ていました。セナガ抜け出した時はバンザイをして拍手しましたが失格とは!、、



セナとの打ち合わせと会食

又、この写真は打ち合わせのときにWATER FRONTのホテルで取ったものです。
セナと一緒に食事をしましたが、セナは決して生物等食べず、お寿司は全然駄目で、
天婦羅もいちいち材料を聞きながら食べてました。
この色紙はその時のものです、他にも何枚か有ります。

体調の維持に凄く気を使っていました。
打ち合わせと食事の様子

又、この写真は3回目の打ち合わせた時のもので、肩など組んで貰いました。
逢うたびに親しくなり、最初は横に並んで写真を撮りましたが、この時になると
向こうから肩を組んで呉れました。


最近写真を整理していたらセナの写真を引伸ばした物にセナのサインを貰った のを見つけました,
すっかり或る事を忘れていました、元々写真をカラーコピーで引伸ばしたものでしたがそれに次に会った時
サインを貰った事を思い出しました、昔なので良いカラーコピーが無く色も悪いのが残念です.
これがその写真ですあまり色など巧く出ていませんがよく見ると生のサインが 入っています.

セナが日本に来た時は、打ち合わせの他にもレース場でも逢いましたがレースの時は可成神経質に
になっており、我々はあまり話しが出来ない雰囲気でした。 パドックの招待券も送って来ましたので逢いも行きました.
この時はセナとべルガーの両方をサポートしていました.

普段着のセナの写真アルバム

ベルガーにもヘルメット供給

同じホンダチームにベルガーがいました、セナと比べると 凄くラフで木目の細かい感じがありませんでした。 打ち合わせの場所は浦安のHOTELでした、逢って見ると 物すごく背の高い人で180cm位ありました、小柄なセナと全く違うので コックピット等合わせるのにチームは苦労していた様です。


中島悟とは

又、ホンダチームがサポートしていた中島悟がいました、 彼はとうとう表彰台には上りませんでしたが日本人の人気は抜群でした。 彼は他社のヘルメットをかぶっていたので、我々とは特別には何もありませんでしたが 私も1フアンとしてTVにて声援を送ったものでした。


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