おやじさんとの日々(その�供�

エピソード続き

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*初めてのおやじさん
*怒られた、怒られた
*こっちの方も少しづつ要領が,,

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*小さな事ほど大きく怒られた
*本当に社員の事を考えていた社長だった
*絶対悪いものは出すな!
*一万回に一回でも百パーセント
*明日の朝まで作っておけ!
*スペアタイヤへのこだわり

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落下傘で飛び降りろ!
*たまには褒められる事も
*最後に怒られたのは
*引退の言葉
*アメリカへ来た

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*シャツは赤かった
*巨星はNOVAに

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小さな事ほど大きく怒られた


●Z360のLPL(開発総責任者)の時の夏の事です、試作車が出来ていよいよ おやじさんに乗って貰う事となり、当時荒川のテストコースに夜、特別に招待し 「社長、お願いします!」と乗って貰いました。 おやじさんは全開で上流の方に走り去って行った 、我々は期待して待っていたしかし なかなか帰って来ないので「おかしいぞ!」と思っていた矢先、バイクだけが戻ってきた コース管理のYさんだった。 駆け寄った我々に「向こうの端で車のタイヤが飛んで、、、」我々は一瞬血が 凍りついた、そして何か口々にわめきながら直ぐ近くの車に飛び乗り駆けつけた。 事故の地点に着く、闇の中に傾いて止まっている車の横の草むらにヘッドライトに 照らされにおやじが立っているのを見た時、やっと我を取り戻した、 「社長大丈夫だったですか?」との問いに 「おう!、、、タイヤはあっちの方へ行ったぞ!、、」との威勢の良い声に我々は一斉に 草むらへ飛び込んだ。タイヤを見つけて帰って来た時、もうおやじさんは帰った後だった。 その夜はまったく眠れなかった、社長に怪我のなかった安堵感と、明日なんて謝ろうか という考えで一杯だった。 次の日の朝、Z360のテストPLのkさんと気もそぞろで社長室の前でどんなに 怒られるか?と首を覚悟で待っていた、そこへ元気に顔を出したおやじさんに、 どうもすみませんでした、、、」と言うと肯いて直ぐ「おう!あれ出来たか?」と 全く関係のない部品の状況を聞かれた、一瞬何がなんだかわからなくなった、 完全に拍子抜けだった。 後で上司に報告をしたら「そうなんだよ、おやじは本人が気が付ついていない事は やたら怒るけど、本人が良く判って反省している失敗は決して怒らないんだよ!」と。 私はおやじさんの偉大な面を一つ体得した。

本当に社員の事を考えていた社長だった


●ある日曜日の昼過ぎの事だった。 突然守衛所へおやじさんから電話がかかって 来た。 「おい、今、テレビを見ていたら志木市(研究所のとなりの町)で火事だと 言ってたが、うちの従業員は大丈夫だろうな!直ぐ調べなさい!もし居たら 出来るだけの事をしてやれ!」 守衛所は大急ぎで電話をかけまくって場所を突き止めたところ、本当に丁度 海外出張中の人のアパートが全焼して仕舞っていた。 勿論、十分な対応をされた事になったが、その事より普通「会社は大丈夫か?」 はよくある話だけど「うちの従業員は大丈夫か?」と休みの日にわざわざ電話してくる おやじさんに、本当に人間としての温かさを感じて胸が一杯になった。

絶対悪いものは出すな!

●図面を書いている所に突然所付から連絡が入った「おい!今、狭山工場の応接室でおやじが 怒っている、直ぐ行って呉れ!」、私は管理から車を借り飛ばして行った。 いくら関越高速道路を飛ばして行っても、狭山工場迄1時間は掛かる、私は何が怒られて いるのか判らないまま色々思い巡らしながら走っていった。 心の中では、いくら何でも1時間も経てば怒りも収まっているだろうと密かな 期待を持ちながら、待っている部屋に飛び込んだ。 しかし期待は空しく外れて、おやじを囲んで工場長や所長等5〜6人首をたれていた 私が入って行くと、「バカヤロー、ここへ来い!」と又火の手が上がった、怒っている 内容は、S600のリヤーサスペンションの騒音がうるさいのは、ある部品の作り方が悪い というもので有った、決して欠陥につながるような問題ではなかった。 そこで散々やられている最中に、窓の外をS600を満載したトラックが工場を出て 行こうとしているのが見えた。そのとたん「あれは何だ!こんな問題が有るのに なぜ出荷するのだ!!直ぐ止めなさい!!誰が許可したんだ!!」と。 皆は一斉に飛び出してトラックの前に行き大手を振って止めて連れ戻した。 工場長は潔く「私が指示しました」と申し出て、罵声の嵐を一身で受け留めていた。 私は、工場長も格好良かったが、それよりそれまでして悪い品物は絶対外へ出さない」 というおやじの執念ともいえる姿勢に頭が下がった、何処かの血清会社とは大違いである。 其の後で聞いた話だが、私が到着する前におやじは怒りのあまり机の上の灰皿を机に 叩き付けた、との事、確かに応接間の立派な机に鋭い傷痕があった、あの傷痕のある 机は今もあるだろうか? S600室内

一万回に一回でも百パーセント

●これはあるテスト室での話 おやじは部屋にいて机に向かっている事など殆どない、暇さえあれば現場に行って 色々な部品を手に取ったり、眺めたりして、研究者と意見を交わすのが日課であった。 ある日、構成部品が故障するという問題が発生した、早速おやじが手にとって、ああしたら どうだ、こうしたらどうだと意見を出していた、アイデアマンのおやじは相変わらず とんでもない様な珍案奇案をポンポンと出していた。 その各案があまりにもコストの高くなりそうな様子にたまりかね、担当者が「社長この故障は僅か 一万回に一回位ですから僅か0.01%の故障率です、対策しなくても大丈夫ですよ!」と言った。 とたんおやじの顔がサッと変わり、いきなりカミナリが落ちた、「バカヤロウー、、 その一個を買ったお客さんにとっては100%の確率じゃないか、何を考えているのだ、、 そんな事が判らんのか!、、」 それから暫くカミナリが鳴り響いたのは言うまでもない。 私は常にお客さんの立場に立って物をみるおやじの考え方に、完全に心が洗われる思いだった。

明日の朝まで作っておけ!

●おやじさんは本当に時間に厳しい人であった、ある日の午後トラブルを起こした部品で 散々怒られた後「今日中に図面を書いて俺のとこへ持って来い」と言われた。 私は必死になって対策図面を書いていた、無情にも時間は刻々と夕方へと刻んでいった。 やっとの思いで図面を書き上げた私は原紙のままおやじを探したが見つからなかった、 いつもはもう会社から出る時間なので、私は一人で玄関でおやじが出てくるのを待っ事にした。 やっと出てきたおやじに図面を見せようとしたが広げる所がなかった、仕方なしに おやじの車の横のアスファルトの上に図面を広げ必死に説明をした。 「そうだよ!これでいいんだよ、判ったか!いいか、明日の朝までに作っておけ!」 言い残すとおやじは愛車に乗り走り去って行った。 一難去って又、一難、何しろ明朝迄に部品を完成しなければならない、私は必死に なって開発管理室に飛び込んだ、ところが幸いな事に開発管理室はこのような事態に 慣れていた、早速試作等の関係者を呼び「分」単位の試作日程を立てその日の夜中迄と 明朝からの予定を作って関係者に配って作業に入って呉れた、私は心配で、遅くまで 加工している現場に何回と無く足を運び状況を確認せざるを得なかった。 普通、日程という物は字の様に、日にち単位であるがホンダは違っていた「分」単位で 複雑な試作工程の計画を組み、一刻でも早く物ができるように知恵を集結していた。 翌日の朝一番でおやじさんが来た「どうだ出来たか?」しかし残念な事にその部品 はまだ完成していなかったが、「分」単位の加工予定を説明してやっと納得してもらった。 勿論其の日のうちにおやじさんに物を見せる事が出来た事は言うまでもない。 兎も角、「1分1秒でも早く良いものを作りたい」というおやじさんの心意気に共感 した皆が結束した毎日であった。

スペアタイヤへのこだわり>

●Z360の開発がもう最終段階に差し掛かって,開発車は量産の工程を検討する為に狭山工場にて 製品技術部門の人達であれやこれや生産性を向上する部分的な修正が日夜行われていた頃だった. おやじが又狭山工場でカミナリを落し,構造変更をしろという情報が夕方に研究所に届いた、 狭山からの連絡では私に直ぐ来いとは言って来なかった,おやじはもう帰ったと言う,私は其の日は どうしても手が離せない認定関係の書類を纏める作業のためどちらにせよ直ぐゆける状態では なかったのでおやじももう帰ったと言う事なので,明日朝一番で話を聞きに行く事にした。 話はどうもZのスペアタイヤの格納方法が悪いという事のようだった。 朝,工場の製品技術の事務所に行くと部長が飛んできた「よーさん,又やられちゃいましたよ, 今回は困りましたね!」と言うとやや疲れて精気の無い顔で訴えてきた、聞いて見ると昨夕言われて から殆ど寝ずに対策案を検討していたとの事であった。 私は早速おやじの言っている詳細を聞く事にした,HONDA-Zはご存知の様な通称水中眼鏡と 言われるスタイルを優先するスポーツモデルであった為,スペアタイヤはリヤーのハッチバックの 水中眼鏡を上げリヤシートの後側の荷物スペースのカーペットと仕切り板を跳ね上げ出し入れする 構造になっていた。 これがおやじの目を吊り上げるさせた原因だったのだ,話はこうだ「何だこりゃ〜何んて設計 やってるんだ!!、、、こんな所にスペアタイヤを入れやがって,タイヤがパンクする時は砂利道の方が 多いんだぞ,そんな事が判らねえのかよ〜、泥だらけのタイヤをこんなに担ぐほど上げさせて、 おまげに奇麗なカーペットをめくって入れるなんて何考えてるんだ、おめえら自分でタイヤ交換した事 あんのか!!!、バカヤロー!すぐ直しなさい!」と、 廻りの皆が震えあがる様な大声で怒鳴ったとの事だった。   対策は大変だった、何しろ工場はもう量産の工程を検討している段階であり、早く確実に対策する事 が出来る様な案を選ぶしかなかった、色々な案が出たが結局バンパーの中央をカットし、下側のボデイ と共に蟹のお腹のようにパックリ明ける案が一番プレス型等の変更が少なく対応が早いので採用になった。   今度の対策の変更の主体は工場の製品技術部にて行われた、おやじに直に怒られた工場の技術者達は 自分たちがやり直すのだ!との意気に燃えていた、我々と工場が一丸となって取り組んだ結果私が予想 したよりはるかに早く対策品が出来上がった。 早速おやじにこれを見せた、「社長出来ました、このテールゲートを開けてこのレバーを引くとこのタイヤ の入り口が開いて出し入れ出来ます、又、走行中に万一開いて仕舞ってタイヤがずり落ちて後ろの車に迷惑を 掛けない様に、カバーが一度に開かない様に半開きで安全レバーが掛かるようになってます」。  おやじは肯きながらあちこちいじっていたが、おやじの好きなずり落ち防止の安全機構がおやじの 思想にぴったりあっていたので、最後はにこにこしながら「これなら良いな、大丈夫だ!!」と珍しく 誉めて呉れた。   同席した工場の技術者達は普段あまり接触の少ないおやじから直に指示され、一生懸命対策した結果で 誉められた事と、やり遂げた満足感で皆、満面の喜びを噛み締めていた。 昔と違い今頃はタイヤのパンクなどあまりしなくなっていたが、昔散々パンクに悩まされたおやじの スペアタイヤに対するこだわりが、我々に物の見方を教えてくれる一幕だった。 続く,,,
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